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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)7616号 判決

原告 細川享

右代理人弁護士 藤井滝夫

同 亀甲源蔵

同 碓氷竜介

被告 旭工業株式会社

右代理人弁護士 松本正雄

同 日上弘三

同 明石守正

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告代理人は、「被告は原告に対し金一五〇万円とこれに対する昭和四〇年五月一日から支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因および法律上の主張として次のとおり述べた。

一、原告は、被告会社が昭和三二年五月三〇日創立以来代表取締役であり、報酬月額は三万円であったが、昭和四〇年四月辞任した。

二、原告は、被告会社の創立以来事実上会社を主宰する役員として鋭意社業に励んだ結果、当初資本金百万円、総株数二千株であったが、会社の事業は順調に発展し、昭和三三年から昭和三九年までの間に資産および利益は著しく増加している。原告のこの功績に対し被告会社は退職慰労金として原告に対し金一五〇万円を贈呈するのが現経済界において適当である。

三、およそ会社その他の公私団体において、その役員および従業員が重過失なく退職するとき、これに対し退職者の所属会社その他の団体から退職慰労金が支給されていることは、明治以来の長い慣行であって、その支給額の算出基準は、最終時報酬月額を基礎として、これに対し地位に応じた一定の支給係数(社長については五ないし六である)および在任年数を乗じたものであり、この慣行は、公序良俗に反せずかつ法令に規定のない事項に関するものであるから、法令第二条後段によって、法律と同一の効力を有するものである。

四、原告は被告会社の代表取締役として八ケ年在職したものであるから、前記慣習法による退職慰労金の請求権は、その退職とともに発生している。これを前記算出基準によって算出すると、原告の退職慰労金の額は、原告の最終時報酬月額三万円、支給係数六、在任年数八年であるから、金一四四万円となる。さらに退職慰労金が報酬の一部の後払いであるという見解により計算すると、後払金月額を三万円としても、これに在任月数九六ケ月を乗ずると金二八八万円となる。原告の報酬月額三万円は社長報酬の常識としては余りにも少額に過ぎる点を思えば、本請求において金一五〇万円を計上したのは、むしろ低きに失する。

五、退職慰労金請求権は、退職とともに発生しており、本来は支払者において一般の基準に従い金額を決定すべきであることは慰藉料請求権の例に見られるとおりである。けれども支払者においてこれを決定しないときは、権利者たる原告において自らその額を算定し、これが当否の判定を裁判所に求めざるを得ないのである。

六、いうまでもなく、会社と会社役員とは委任関係にあり、しかも商法上の委任は有償をもって原則とする。商法第二六九条は報酬の存在を当然の前提とし、ただその額の決定だけを定款または株主総会の議によらしめているのであって、被告会社の定款第二五条もまた実にこれに従ったものにほかならない。そうだとすれば、原告の退職により被告会社と原告との委任関係は終了し、被告会社は役員だった原告に対し退職慰労金支払の義務が生じ、原告はその支払請求権を取得するに至ることは当然の事理である。

被告代理人は、主文同旨の判決を求め、原告の主張に対する答弁として次のとおり述べた。

一、請求原因第一項の事実および同第二項中被告会社の資本金が百万円で総株数が二千株であったことは認め、その余の請求原因事実は否認する。

二、取締役に対する退職慰労金支給の許否およびその額は、商法第二六九条により定款に定めるか、株主総会において決議しなければならないところ、被告会社の定款第二五条によると、これを株主総会において定めることになっている。ところが原告に対する退職慰労金については、いまだ株主総会の決議がないから、原告には法律上具体的な退職慰労金請求権が発生していない。

三、原告は被告会社の親会社である訴外内外化学株式会社のもと専務取締役であり、右会社退職にあたり金二七〇万円の退職金が支給されている。たまたま形式上被告会社の代表取締役であったことを利用して本請求に及んでいるのであって失当である。〈以下省略〉。

理由

一、原告が被告会社創立の昭和三二年五月三〇日以来同会社の代表取締役であったところ、昭和四〇年四月これを辞任したことは、当事者間において争いがない。原告は被告会社に対し、退職慰労金の支払を求めているので、その許否について検討を加える。

二、商法第二五四条第三項は、会社と取締役との関係につき、委任に関する規定に従うものとし、民法第六四八条第一項によれば、受任者は特約がない限り委任者に対し報酬を請求することができないのであるが、一般に商事会社のように営利を目的とする会社と取締役との間には、特別の事情がないかぎり明示ないし黙示の特約があり、有償委任の関係にあるのが原則である。そして右委任契約は、会社の代表機関である代表取締役によって締結されるものであり、したがって報酬の額も当事者の合意によって決定されることになる。けれども、取締役の会社において占める地位に鑑み、右報酬の決定を代表取締役ないし取締役会の決定に委ねるときは、会社の利益したがって株主の利益が害されるおそれがあることを考慮して、商法第二六九条は、取締役の受ける報酬の額を定款または株主総会の決議によって定めなければならないとし、株主保護の法的規制を加えているのである。そして、このような取締役に対する報酬支給の可否およびその額の決定という事項は、もっぱら会社の内部関係に属し、対外関係のごとく取引における第三者保護の必要もない場合であるから、同条は社団法上の特質に基いて一般私法上の法律要件に付加した特別の効力規定として、取締役の報酬請求権における効力発生要件を構成するものと解するのが相当である。

三、そこで、取締役の退職慰労金が商法第二六九条の報酬に含まれるかどうかについて考える。取締役に支給する退職慰労金はすでに取締役たる地位を去ったものに対し支給される点で形式的には同条にいう報酬にあたらないようにみえる。けれども、取締役のお手盛りを防止するという同条の法意に鑑みるときは、その実質が取締役の在職中における職務執行の対価として支給されるものであると或は在職中の特別功労に対して支給されるものであるとを問わず、すべて同条の報酬にあたるものと解するのが相当である。

四、成立に争いのない乙第一号証によると、被告会社定款第二五条には、取締役の報酬並びに退職慰労金は株主総会において定めると規定していることが認められる。ところが、原告の請求する本件退職慰労金について、被告会社における株主総会の決議を経ていないことは、弁論の全趣旨に照らし明らかであるから、前示商法二六九条の法意によれば、原告主張の本件退職慰労金請求権はいまだ発生せず、その余の争点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であって棄却を免れない。〈以下省略〉。

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